たの葉の物思い 

たの葉が思ったことです、主に本を読んだ感想、ときどき、それ以外

「こころ」 著・夏目漱石

新潮文庫

 十代のとき、あらすじを知り、悲しくなった。女性との関係より、同性の、男性との関係のほうが、大切なのだと思ったから。妻より夫婦の絆より、同性の親友との絆のほうが尊いから、女性の肉体より男性の精神のほうが高尚だから、先生は苦悩しなければならず、結局、自殺したのだと解釈した。だから、読まなかった。

 ごめんなさい。誤解でした。読んで、わかった。男より女を、友情より恋愛を、選んで、後悔した男、などという単純な物語ではない。

 おそらく、もともと鋭敏で繊細な性質。しかも知識人予備軍。自分を主張できるけれど、自分を守る知識も技術も持っていない、年齢。しかも家族・故郷との訣別を経た。若き日の先生も、Kも。御嬢さんが現れる前から、二人とも、その自尊心その自意識、危なっかしいよ…。二人の関係は、健全な友情というより、共依存にも見えてしまう。

 恋愛や友情というより。人間の内面の、複雑さ奥深さ。失恋という悲劇ではなくて。人間の、自分自身の、醜さ、闇。先生が、妻に自分の罪を告白できなかったのは、恋愛だけの問題ではなかったからだろう。kが自殺したのも、友情と恋愛を失ったからだけではなかっただろう。

 現在の先生の苦悩には、時代という要素も加わるのか。自分のような人間を肯定し、新しい時代に適応し、新しい倫理を受け入れて、生きていくことは、できなかった、したくなかった。知識人としての選択でもあったのかな。だから知識人ではないわたしには、難しいのです。

 僭越ながら。先生に言ってみたいかもしれません…。自分を特別だと思い、気取ってかっこつけるのを、やめてみませんか、高いところから、降りてみませんか、と…。

 「私」のその後が気になる。先生と交流し、先生の真実を知り、先生を失った「私」が、どう生きていくのかを、夏目漱石は、書くことができなかったのか。敢えて、書かなかったのか。漱石の、選択?…。

 批判と疑問が近代的知性。ただ、それが、人間の内面に、人間という存在に、自分自身に向かうと、袋小路。

 ここのところ漱石を読んでいて。勉強をすることで頭が良くなることで知識を深めることで、人間は孤独になり不幸になるのなら、教育って、なんなのでしょう、教育は知性は、人間を豊かにし、人間と人間を良い方向に結び付けるものであってほしいなあ、と思ったり。

 こういう物語は、小説だからこそ。小説でしか。字で、文章で、読まなければならないなあと思ったり。漫画や映像だと、同じものにはならないだろうなあ。

 前期三部作と後期三部作を、順番に読んできて、今、「三四郎」が、懐かしい、まぶしい……。