たの葉の物思い 

本を読んで、たの葉が思ったことです、ときどき、それ以外

講談社学術文庫「オスマン帝国の解体」

著・鈴木董

 イスラム世界に関して。気楽で手軽なメディアから、何気なく、正確な知識を目にして客観的な情報を耳にすることは、あんまりないかもしれない。わたしは、その魅力的な測面も知りたいし、肯定的な意見も、聞きたいと思う。

 この著者のかたが書かれた本を読んだことが、オスマン帝国を好きになったきっかけだった。好きだから、この本のこの題名、悲しいのだけど…。

 イスラム世界において、アラブ人ではなくトルコ人に惹かれる。その理由は、彼らのルーツの「遊牧民」「騎馬民」、「辺境」「新興国」という要素。そして「戦士」「戦に強い」という、イメージ。あと、ペルシア帝国とペルシア人が好きなので、初期にペルシア人が重用されたことなんかも。 

 広い視野から、世界を見渡しながら、イスラム世界について、イスラム世界におけるオスマン帝国について、語っている。中世西欧や近代西欧と比較して、ときには中国や日本とも比較して、語っているのが、面白いよ。

  オスマン帝国に限らず。具体的な詳細な細部を、見て、知るのは、楽しい。そして、上から俯瞰するように、全体から、より大きなものの一つとしての流れを、見て、知ることも、楽しいんだなあと、しみじみ思った。

 近代世界体系、近代国家、国民国家。当然のものだと感じている、今のこの世界は、当然のもの、絶対、自然、ではないのだ。不思議な気持ち。「~「民族」なる人工物は~高度の物神化をとげたかにみえる」という文章に、はっとした。近代になり人々は「民族」の真価に気付いたのだと思っていたのだけど。近代に入り、「民族」という価値が、上がったという解釈もできるのだ。

 説明が、論理的で具体的で、端的で適切で、とても、わかりやすいよ。「近代化」が、非西欧諸国に葛藤を生み出す、社会構造的背景が、よくわかった。日本が、短い期間で近代化に成功した理由も。ネイション・ステイト・モデルと当該社会の文化的相性だ。

 イスラム世界。アラブ帝国からイスラム帝国へ。移動の文化。「イスラムの家」の統一性と普遍性。シャリーアのみが世界法。

 前近代イスラム社会の「イスラム的寛容」というべきものの遺産。かつての魅力が、今、仇となっている。人類への、貴重なすてきな遺産のはず、正しく使うことができれば…。

 「デヴレッティ・アリ・オスマン」、うっとりする言葉…。「オスマン家の王朝・国家」という意味のトルコ語。ペルシア帝国も「エーラーン・シャフル」という呼びかたのほうが、美しく感じる。オスマンの場合も。原語の響きのほうが、魅惑的だ…。

 多様な自然地理的環境、多様な生態学的環境、多様な歴史的過去・文化的伝統。多種多様な、宗教・宗派、言語、民族。文章で表現されると、改めて、なんて複雑な帝国!

 「オスマン時代における「民族」観念は、生物学的なものではなく、著しく文化的なものであった」。

 宗教的アイデンティティの優位。宗教に基づく統合と共存のシステム。ミレット制度ではなく、ズィンミー制度。「イスラム優位下の不平等の下に、一定の秩序のなかで共存していた」って、このこと、重要だよね、でも、知られていないのか…。

 「国語」のない国、二つの文明語・文化語、三言語に通じている文人学者ってすてき。教育の多様性。

 「オスマンの衝撃」の主体、から「西洋の衝撃」の客体、へ、「東方問題」の舞台、へ。ああ、なんて適切な言葉、なんて端的な表現、正しいから、痛い…。

 バルカンで生きる人々の、現在に繋がる、精神的変容の過程。ギリシアセルビアの違い。わたしはギリシアに興味がなかったので、現代においてギリシアとトルコの仲が良くない理由が、いまいちわかっていなかったのだけど、わかりました。

 一時期、ハプスブルク家に関するものをよく読んでいた。近代に入ってからのハプスブルク帝国は、なんて大変なのだろうと思っていたけれど、オスマン帝国のほうが、もっともっと、大変じゃないか…。

「宗教を基軸としたパクス・オトマニカの基礎は、言語を基軸とする民族主義としてのナショナリズムにより、着実に掘り崩され始めた」。

  イスラム主義の試み。活力と生命力に満ち溢れた、若き日のオスマン帝国が、「カリフ」という称号に、関心を示さず、執着もしなかったと、別の本で読んだことがある、そのとき、なんてかっこいいんだろうと思ったものだった。だけど、近代に現われた、スルタン・カリフ制論。惹かれるよ、尊い美しい光だ、最後の…。

 第二次ウィーン包囲、完全な失敗、西欧世界に対する陸上戦で初めての敗退、ショック…。

 外交政策。仮想敵国、親英仏派、親独派。初期の、草原を馬で駆け、剣や弓で敵を殺していた時代の帝国が、懐かしい…。

 オスマン帝国ハプスブルク帝国が同じ陣営で戦う、仲間・味方になるって、ドラマティックな展開だ、勝っていれば、ドラマティックな物語になったのに、勝っていればね…。

 第一次大戦の敗戦により、オスマン帝国、解体。戦勝国の列強、死体に群がるハゲタカのよう。この時代の西欧列強を見ていると、非西欧人の血が騒ぐのかな、彼らが憎くなる。どう見ても、欲望で動いているし。だから、ケマル・パシャことアタテュルク大統領に惹かれる、「国民闘争」に興奮する、アナトリアが分割されなくて本当によかったと思う。

 文民統制シビリアンコントロールは、現代に、絶対必要なシステムであり、絶対正しいルールだと思う。だけど。有能な軍司令官であり有能な政治指導者でもある、勇敢な軍人であり優秀な政治家でもある、そんな、歴史上の男性たちは、かっこいい…。オスマン帝国について言えば、初期の皇帝たちはそうだし、ケマル・パシャもそうだ。かっこいいなあ…。

 西欧諸国、このころと比べると、ずいぶん「いいひと」になった。素直に言えば、社会が進歩した、人類が前進したってことなのだろう。ただ、第二次大戦がトラウマになって、人格が変わってしまったのかも、なんて。

 パン・トルコ主義、そしてトルコ民族主義へ。アナトリアを中心とする国土としてのトルコに立脚するネイション・ステイトとしてのトルコ共和国成立。

 宗教から民族へ。伝統的な共存システムの溶解。オスマン帝国の終焉は、単に、オスマン朝が終わったというだけではなかったのだ。もっと大きな世界が、もっと長い歴史が終わったのだと、この本を読んで、実感した。

 現在、アナトリアに存在するトルコ共和国が、世俗主義の国家だということに、皮肉と不思議を感じる。

 現在の、シリアやパレスティナなどの中東地域の、不安定な社会。それは、イギリスとフランスによる分割から始まったといえると、知っている人は、どのくらい、いるのだろう。専門家・学者ではない、世界の普通の人々の多くは、知らないのでは。もっとも、知ったからといって、イギリスとフランスを責めたって、イギリスにもフランスにももはや、解決・収拾できない…。

 膨大で複雑なものを、簡潔に見せてくれた、この本。読んで、良かった。