著・中沢新一
初めてこの題名を見たとき、内容が想像できなかった。
この著者のかたの本だから、読む前から、面白いことは確信していたのだけど。
歴史が好きだから。日本の歴史も、日本以外の国の歴史も。
軍事的天才、狂人、芸術家。世界中の、さまざまな国王・いろいろな皇帝に、出会ってきた、つもり。
だけどこの「王」さまは知らなかった。
山の中の、名を知らない古いお社で。
住んでいた町の、地域の、神社で。
伊勢神宮で。
手を合わせたことがある。
だけどこの日本の神さまに手を合わせたことはない。
この国で、この列島で。
昔から、とても昔から。
長い間、とても長い間。
働いていたのに。
(この列島に限らず。)
打ち捨てられ、忘れ去られた。
わたしならば、ふて腐れ、怒り、傷つき、気力を失い、そして、本当に消え去ってしまうでしょう。
だけど、消えなかった、たくましく生き残り続けた。
わたしなどと比べて、わたしなどを引き合いに出して、ああ、無礼千万、恐悦至極、僭越も極まれり、甚だしい不遜!
難しい本を読むぞと身構えて、ページを開いた。
だけど、はじまりの文章が。
「ものごころついた頃から、私は全身にその精霊の風を受けていた。」
はっとした。
ほっとした。
わたしもその風を感じてみたいな。
プロローグ。
それは神というよりむしろ精霊と呼んだほうがよいような、とてつもない古さを秘めている。
その精霊の呼び名。シャグジ、ミシャグジ、シュクジン…。
すべてに、「サ行音+カ行音」の結合。きわめて古い日本語でものごとや世界の「境界」を意味するもの。
シャグジは国家の管理する神々の体系に組み込まれたことがない。
しかも古い神命帳に載せられているどんな神々よりも古くから、この列島で活躍していた。
しかし、国家というものがこの列島に出現し、人々の思考がそれによって大きな変化をとげてしまうと。巨大な規模での没落がはじまった。
ところが、社会の表舞台からは姿を消したかのように思われた、この縄文的な精霊であるシャグジという「古層の神」が、たくましく生き残っていた世界があった。
芸能と芸術を専門とする職人たちの世界では、この精霊はその名も「宿神(シュクジン)」と呼ばれて、芸能に生命を吹き込み、技術に物質を変成させる魔力をあたえる守護神として、大切に守り続けられていたのである。
つまり、今日「日本文化」の特質を示すものとして世界中から賞賛されている芸能と技術の領域を守り、そこに創造力を吹き込んでいたのは、この列島上からすでに消え失せてしまったかと思われた、あのシャグジ=宿神というとてつもなく古い来歴を持つ精霊だったのだ。
秩序の神、体系の神の背後に潜んでいる神=精霊の存在を、中世日本の人々は「後戸(うしろど)の神」と呼んだ。「後戸」の空間に潜む、シャグジや宿神のような精霊的な存在。
「私はこの本で、思考する行為に「後戸」の空間にみなぎる霊力を注ぎ込むことによって、私たちの生きる世界からすっかり見えなくなってしまった「創造の空間」への通路を、あらためて開削しようとする試みにとりくんだ。」
「この本を読み終えた方は、これまで語られてきた「日本人の精神史」というものが、根底からくつがえされていく光景をまのあたりにすることだろう。」
最初に読んだとき、この文章、この部分。
ごめんなさい、「へー」と思っただけ。
だけど、読み進めていくにつれ。
そして、読み終えて。
そのとおりでした。
プロローグを読んでいたとき。
これからどこへ向かうんだろう?と思っていた。
このお話の行き先がわかっていなかったわたしです。
第一章 謎の宿神。
日本の宮廷文化、公家文化が好き。
和歌はもちろん、琵琶、笛、雅楽も、お香も、衣紋も。
だけど、蹴鞠は。
蹴鞠には、興味がなくて。
詳しく知りたいと思ったことがなかった…。
反省!
「鞠精」、蹴鞠の名人。侍従成道卿。
二千日、一日も欠けることなく鞠を蹴り続け、病気のときには、病床に鞠を持ち込んで、ふとんの端をまくりあげて、寝たまま鞠を蹴った。そして、千日行。
まず、その肉体的な過酷さにびっくり。ほんとにスポーツみたい!
でもでも、スポーツではない。
蹴鞠も素晴らしい公家文化の一つなのだと、今さら納得してしまいました。
そしてそして、文化は、深い…。
人の身体をアクロバット的に空中にとどめたり、空中に放り投げた色々なものを落下させない技術。
「中間的な空間」。
この空間には精霊が棲む。
中世の芸能・技芸にたずさわるものたちの守護神と言われた、「守宮神(シュグウシン)。シュグジともシュクジンともシャグジとも呼ばれる。「宿神」とも書かれる。中世の神。
そのひとつの顕現の姿、鞠の精。
鞠精は全体運動する「シャグジ空間」の突端、岬、突出部として、童子の姿をして人の世界に姿をあらわす。
芸能としての蹴鞠は、このような空間の感覚に触れていることによって、スポーツを超える。
「諸道」の者たちは、それぞれの道にふさわしい守宮神の守りを得る必要があった。
たんなる神頼みではなく。
その神をとおして、それぞれの芸がどこかで「へその緒」のようなものをとおして、揺れ動く「シャグジ空間」につながっている必要を感じていたから。
「そういう空間から立ち上がってきた石や花でなければ、霊性にひたされた芸能とは呼ぶことのできない、ただ美しいだけのただの物質質的現象にすぎない、と見なされた。」
日本の中世の芸能者・職人の世界。表だっては伊勢や春日の大神を崇敬する様子を見せながら、ひとたび家の芸のことに心が向かえば、最高の神は誰あろう守宮神をおいてほかにはなかった。
守宮神には大きな神社もなければ、国家による認定もない。
家の中の小さな祠に祀られて、その由来も神話も定かではない、世間からは得体の知れない精霊の扱いを受けていた守宮神であるが、この神こそが芸能者・職人にとっては、宇宙の王にも等しい存在だったのだ。
第二章 奇跡の書。
金春禅竹。世阿弥の娘を妻とした、円満座を率いた、すぐれた芸能者。
彼が書いた『明宿集』。
昭和39年に、偶然に発見された。
能の演目「翁」。
「翁」が宿神であり、宿神とは天体の中心である北極星であり、宇宙の根源である「隠された王」であるという主張が、はっきりと書きつけられていた。
私たちはこの書物をとおして、はじめて中世に宿神と呼ばれていた芸能の神=精霊の活動について、なまなましくも正確な知識を得ることができるのである。
『明宿集』は日本文化が発掘した、ある種の『ナグ・ハマディ文書』なのである。
一部分だけ取り上げてみても。
それは芸能史的な側面から神話学的な側面におよび、さらに社会史的側面に、民俗学的側面へ。
芸能者にとっての守護神である宿神が、播磨国の民族誌にあらわれる宿神の観念につなげられている。
芸能史と民俗学が、ここではひとつに結びあって、折口信夫の先を行っている。
第三章 堂々たる胎児。
信州。諏訪信仰圏。ミシャグチ神。
芸能の徒の守護神シャグジには、胎生学的イメージが濃厚。
これとまったく同じ性質をもつ胎生学的思考が、諏訪信仰圏のミシャグチ神にも濃厚。
胞衣(えな)。
母の胎内にあるとき、胎児は胞衣に守られているが、この世に生まれてくるときには、胞衣を脱ぎ捨てて、現実の荒波の中に出てこなければならない。それが私たちのようなふつうの人間の場合である。
ところが、ミシャグチのような神は、たとえこの現実の世界に呼び出されてこようとも、それによっていささかも純粋な霊威が損なわれるということがおこらない。母の体内を出て、現実の世界に存在しながら、閉じられた壺のような子宮のうちにいるときとまったく同じ状態を、ミシャグチは維持できるのだ。
それは、この神が「胞衣をかぶって生まれてくる子供」であることによる。
箕をかぶる。
神使は「胞衣」をあらわす箕をかぶって、ミシャグチを我が身に付着させる。神の霊威が人に憑くということを、諏訪信仰圏では胎生学の比喩で理解しようとしている。それどころか、ミシャグチ神自身が、「胞衣をかぶって生まれてくる子供」として、けっして「胞衣」を脱がない神なのである。
ミシャグチは「胞衣」をとおして、存在の母胎とつねに直接に結びあっている童子(小さ子)の神として、たえまなく生成される神。
このような存在が、樹木を伝って人に降りてくる。すると壺の中に密封された酒は、人の心を陽気に発動させる薬効をもった液体に変容をとげ、蹴鞠の庭には尋常の技とは思われないような霊妙なリズムが沸き立ち、猿楽の徒には翁の出現を促す。存在の胎児たるミシャグチは、永遠の王子として、この世界に若々しい力にみちた流動的生命力をもたらすことができるのだ。
諏訪神社の現人神であった大祝は、ミシャグチの霊威を必要とした。
ミシャグチの発動する霊威の働きがなければ、現人神もみずからの威力を有効に働かすことなどできないからだ。
大地や森の中に住み、樹木を伝って人に付着して働きをおこなう、このミシャグチによる霊力の発動は、水稲を豊かに実らせるばかりではなく、もろもろの超境者たちをも生きさせることができる。
神仏の背後の空間に潜んで、歌い踊る身体の芸を持って霊力の発動を促そうとした「後戸の神」の原型が、ここにある。
中世の宗教者や芸能者はさかんにこの「後戸の神」のことを話題にしたが、それは彼らの思考のうちに呼び戻された荒々しくも美しい「古層の神」の立ち姿にほかならなかった。
第四章 ユーラシア的精霊。
ヨーロッパ。ずきん。
民衆文化、迷信、民話。
ケルト文化の聖職者たち。
ずきん。
「ずきん」とは、子供が生まれるときに頭にかぶって出てきた胞衣の言い換え。
ずきんと胞衣の深い深いつながり。
胞衣はずきんと同じように、「母性的保護機能」を象徴的にあらわしている器官。
では、その胞衣に包まれている子供自体は、象徴的にいって何者なのか。
かつてコンドームは羊の羊膜でつくられていた。
ケルト世界の「古層の神々」をあらわす像。
かつては羊の「胞衣=ずきん」そのものがコンドームだった。
子供=ペニス。
胞衣=コンドーム。
ケルト世界の「古層の神々」をあらわす像。子供のような顔つき。ずきんをかぶっている。
「胞衣をかぶって生まれた子供」というイメージの全体像。
子供や小さな精霊の姿で描かれる「男根的機能」を、胞衣やずきんや包皮のあらわす保護機能によって包み込み、外界の影響から守っている。
ここでは、外界にむきだしになった男根的機能も否定されているし、内容物がからっぽの母性的機能も否定されている。
ふたつの機能が、皮膚と皮膚を合わせるようにして一体であるとき、ヨーロッパ精神の「古層」において、人間は神々の世界への通路をはじめてみいだすことができたのである。
つまり、男と女、どちらもそれぞれ大切ってこと。この両者がひとつになったら、世界が無限になり永遠になるってこと。仲良くしたほうが、生活も人生も社会も豊かになるってこと。そう、仲良くするべきなのよね、仲良く…。
「幸福」という概念の、人類最古の表現形態――それが私たちの「胞衣をかぶって生まれた子供」にほかならない。
ヨーロッパ世界における「古層の神」と、私たちの列島における「古層の神」ミシャグチとは、驚くほど多くの共通点を持っている。
いまでは、立派な社殿の脇にとりのけられるようにして、ひっそりと正体不明の石棒として祀られているのがこのミシャグチだが、そのユーラシア的普遍性において、神道の神などはとうていミシャグチの相手ではないのである。
ザシキワラシ。
ケルト世界の「古層の神」や芸能の徒の守護神である宿神や諏訪のミシャグチ神などと、よく似た働きをしてみせている。
しかし一見すると、東北の小さな神々には、胞衣やずきんのような「覆うもの」のイメージがあらわれていないようにも見える。
奥座敷。
ザシキワラシ。この童子たちが住み着いていると言われる「奥座敷」そのものが、この場合の、胞衣であり、ずきん。
変身や変容を芸態とする猿楽たちの先祖たちは、神仏の鎮座する空間の背後にしつらえられた「後戸」の空間で、その芸をおこなったと記録されている。
薄暗いその空間の一角。
「後戸の神」は神仏たちの背後にあって、場所を振動させ、活力を励起させ、霊性に活発な発動を促す力を持っている。
それゆえ、日本人の宗教的思考の本質を理解するためには、折口信夫が考えたように、芸能史の理解が不可欠なのである。
ここでは神仏は芸能的な原理と一体になって、はじめてその霊性を発揮する。
日本人は「フィロソフィー」という意味で理解された「哲学」などによっては、自分の抱く思想を表現してこなかったかも知れないが、まちがいなく芸能の中にはその思想の、めざましい表現の諸形態を見つけることができる。って、この文章。
鳥頭、読んで感動してもすぐに忘れてしまうわたし。だけどこの部分は、忘れないでしょう。
このことの理解を欠いたすべての「日本思想史」の試みは、ザシキワラシの去った旧家のごとくにひからびている。
ザシキワラシの例えも、良いなあ…。
それでは、「思想」が知的に語られることはあっても、霊性はいっこうに励起されない。
思想にとっての「後戸の神」を、私たちは呼び戻さなければならない。
第五章 緑したたる金春禅竹。
金春禅竹(1405~1470年頃)の作であることがたしかな数曲の謡曲。
その中の『芭蕉』。
猿楽能はものごとが変容と変身をおこす、境界膜に守られた不思議な時空を現出させようとする芸能。そのため植物の霊が人間の姿に変身して、ことばを語り出すことなども、ごくあたりまえのようにおこる。しかしそれでも、植物から人間への変身を可能にする「通底器」としての働きをするこの不思議な時空を、『芭蕉』ほど濃密な感覚的ななまなましさをもって描いているものは、ほかにはみあたらない。
金春禅竹の『芭蕉』で興味深いのは、シャグジ的・宿神的な認識をもっている芭蕉の精と、法華経を読経する僧の思考とが、完全な一致をしめしている点。
ここでは、列島に形成されてきた最古層に属する存在の思考と、法華経的に理解された仏教とが、別のほうからやってきて、おたがいを理解しあってなかよく手を結び合う、感動的な光景がくりひろげられている。
この時代に、さまざまな芸能の徒をつうじて、縄文時代の野生の思考に直結する回路をそなえたシャグジ的な思想は、未曾有の高さにまで登りつめようとしていた。
それと同時に、この列島に移植された仏教の思想は、シャグジ的な存在思想に親和性を抱くほど、すでにここの大地に深く根を張っていたのである。
仏教と日本。
出会うべくして出会ったのか。
根付くべく根付いたのか。
最良、最高、最適、ぴったり、お似合い(?)、赤い糸で結ばれていたのかしら(??)。
一神教では、きっと、だめだった。
天台宗。本覚論。「草木成仏」。有情と非情。
動物は食べないが、植物は食べる、生きているものを殺して食べることはしないが、植物は食べる。違和感。
植物は動物より、下、劣っている、遅れている。そんなことはまったくちっとも、思わない。
植物も、生きている、感じている。
日本人であるわたしのそういう考えかたは、実はさかのぼっていくと、このあたりから来ているのでしょうか。
例えば、我が家のお墓は仏教の形式。だけど普段は、自分を仏教徒だと、意識していない、自覚していない。
だけど、この国で、この列島の一員として、生まれ育ってきたから。専門的に勉強していなくとも、仏教の、それも日本仏教の思想が、無教養な一庶民に過ぎないわたしのなかにも、染み渡っているのか。
第六章 後戸に立つ食人王。
障礙神、荒神。
そしてカン二バル(人食い)。人の肝臓には人生の塵芥が蓄積されている。そういう重要な臓器を、摩多羅神は臨終のさいに、食いちぎってくれるという慈悲をしめす。カン二バルとは人生からの解放をもたらす聖なる行為。
人間を古いしがらみから解き放つため食べ、あらためて出産するための、創造的なカン二バル。
摩多羅神が謎なのは、この神が自分の内部に複雑な重層性をかかえているから。
表面の姿。本覚論の思想を直接に体現した、日本の「中世」をあらわしている。
ところがこの奥には、もうひとりの摩多羅神がいる。この摩多羅神は、仏教の中にひそんでいる「野生の思考」に深くつながっていく存在。
カン二バル(人食い)ということが、まだ重大な存在の哲学の表現であった頃の思考の残響を残したまま、この新石器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠れて、不穏な波動をあたりに放出している。
このような神が、本覚論というその時代の先端的な哲学思考の、まさに「後戸」に立つ。
日本仏教が推し進めた大胆な哲学運動の、決定的なターニング・ポイントに、この摩多羅神が立っている。
宿神=シャグジ。この宿神は翁であり、しかも摩多羅神でもあると、猿楽の徒によって断定されているのを見ても、もう私たちは少しも驚かない。そこに一貫した思考が働いているのを、はっきり見届けることができるから。
日本の中世を彩る多彩な思考の展開は、「知」の体系と「大地」的なもののおこなう非知的思考との結合の結果として、生み出されている。一言論的思考の活躍が、それを可能にした。
第七章 『明宿集』の深淵。
大正12年夏の、折口氏信夫の、二度目の沖縄探訪旅行についてのお話からはじまる、この章。
「翁=宿神」を鍵観念にして、つぎつぎと神々の間に失われた対称性を発見していく。
どこへ? そこに? えっ、そういうこと?
引き込まれ、連れられて、巡った。
「人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ」を読んだときの浮遊感を思い出しました。
折口信夫の「まれびと」と禅竹の「宿神」は多くの共通点をもっている。どちらもそれぞれの概念の背後に、胎動をはらんだ母体(マトリックス)状の超空間を抱えているから。
スピノザの哲学が唯一神の哲学を極限まで展開していったとき、汎神論にたどりついていったように、金春禅竹の「翁」一元論の思考も、ついにはアニミズムと呼んでもいいような汎神論的思考にたどりつくのである。これほどの大胆な思考の冒険をおこなった人は、数百年後の折口信夫まで、私たちの世界にはついぞあらわれることがなかった。
第八章 埋葬された宿神。
明治40年代。柳田国男が見出したひとつの事実。
シャグジ。精神文化の「太古の地層」。
東日本では「常民の民」のひとつ。西日本では、多くの被差別部落の氏神。
その発現形態が、東日本と西日本では、ひどく違っているように見える。
どうして一方では「宇宙の中心」である神が、別の場所では「境界性」の場所へと送り込まれなければならなかったのか。
ここに、この列島に発達した国家と権力の問題が深く関与していることは、あきらかである。
天皇と芸能の関係。
天皇と賤民の関係。
なんとなくずっと気になっていたことだった。
その理由や由来をきちんと知りたいと漠然と思っていたことだった。
天皇の歴史が好き。
だから、この章、面白い。
だから、天皇という存在について、一応、ちょっぴり、多少、知っているつもりになっていたのだけど。
とても、新鮮。
「天皇制という王権の特徴は、秩序をつくりだす政治的機能とは別に、王権と国家というものが生み出されることになった過程の本質を表現しているひとつの「構造」を、いつまでも宗教的な領域に保存し続けたというところにある。」
この「構造」は、自然のものであった「超越的主権」を社会の内部に取り込むトリックによって国家が発生した、その過程の本質を表現しようとしたものだが、天皇制はこの「構造」を自分の内部に保存しつづけようとすることで、むしろ国家というものの本質を隠し立てすることなく、ナイーブに表現してきたのだとも言える。
しかもその表現は法律的・制度的なことばではできない。矛盾を論理の中に呑み込んでいける神話の思考によらなければ、この過程の全体性を表現するのは難しい。
そのために、この部分が残存し続けるかぎり、王権を全面的に近代化することなどはできない仕組みになっている。
天皇制が神話的思考を必要としたのは、そのためである。
ここから、天皇と職人たちの内密の関係が、発生してくることになったのだった。
「原理」という視点から見るかぎり、天皇とは政治の領域における一人の宿神にほかならないのである。
ヨーロッパの王権は、「王権とは何か?」という根本の問いに答えられない仕組みになっている。
ところが天皇には、その原始的な記憶をとどめる神話と儀礼が残されている。
その儀礼には、海と山を活動の場とするおびただしい数の職人(非農業人)と芸能者の協力が必要である。
芸能者と職人は、天皇のもつ「宿神=翁的身体」を仲立ちにして、王権と密接に結びあうことができた。
「諸職の民」の守護神であった宿神は、王権の秘密を知っていたとも言える。
「宿神は自然の内奥からほとばしる源泉の力に触れているために、一面では「聖性」をおびた神だったとも言えるけれども、他の一面では、神話の過程が冷却したあとに出現してくる秩序の感覚からすれば、その神は秩序の維持にとっては危険な過剰をはらんでいることによって、「賤性」に染まっているとも考えられた。」
「この両義性こそが、差別の源泉である。」
「こうして宿神は、「宇宙の中心」であるがゆえに、社会空間のなかで差別された「境界性」の場所に出ていかなければならなくなった。」
徳川幕府によって完成される近世的権力には、天皇王権にそなわっていた「宿神=翁的身体」は、もはや不必要である。そこでは武力や警察力がその権力を支えるのであるから、「超越的権力」の源泉にまで遡って、権力が自己確認をおこなわなければならない必要など、どこにもないからである。
宿神の没落がはじまる。
わたしが江戸時代に興味がない理由は、このあたりだわ。
このあたりのことを感じていたからね!(?)
江戸時代の武士のビジュアルが好みじゃないのよ、月代と裃がかっこよくないんだもんって、浅ーい薄ーい理由ではなかったのね!(?)
王権の中心地に近い西日本。神々の世界の体系化の作業の、徹底。
そのために「古層の神」の祠は、西日本ではそのほとんどが差別された人々の暮らす村の、小さな祠の神として生き残ることになった。
一般村落の氏神の氏子となることを、この人々は拒否されていた。
このことは、見方を変えれば、国家的な原理と一体になった神々の体系に組織された神道というものからのけ者にされることで、差別された人々に残されたのは、いわば国家に属していない、国家以前の人間の精神のあり方を示す「古層の神」しかいなかったのだ。
彼らは「古層の神」であるシャグジのことを、心底いつくしんでくれた。
「国家の原理によって汚染されていない思考の痕跡が、粗末な石や木の祠として、この列島のいたるところに放置されていることを、思い出そうではないか。」
「また厳しい差別の現実に耐えてでも、非国家の感性を守ろうとしてきた人々の苦難に、思いをはせようではないか。」
「それはきっといまに、思考に野を開く鍵を、私たちに与えてくれるはずである。」
第九章 宿神のトポロジー。
哲学者としての金春禅竹。
禅竹のもう一つの著作『六輪一露之記』。
「幽玄」の真実の意味。
翁と宿神とシャグジが住まいする潜在空間につながり、そこからの息吹を浴びながら、物質の身体をもって舞い歌われるところに出現する新しい現実こそが、幽玄。
潜在空間から現実世界に突き出した岬。特異点。この短い突端の部分で転換が起こっている。猿楽の芸人はこの要所をしっかりと会得することによって、「幽玄」」の表現をわがものとすることができる。
無私無欲の清浄心をもって、この岬に立てば、現実世界に顕れることも潜在空間に隠れることも、自在である。
「幽玄」って、言葉でこんなふうに端的に表現できる概念だったのか!
幽玄という概念は、メビウスの帯またはクラインの壺の構造と深い関係をもっているらしいことが、見えてくる。
猿楽の芸は、宿神の住むという潜在空間と現象世界とをクラインの壺状に一続きの表面でつなぐ「幽玄」の芸態を演ずることによって、現世的な権力によって「内」と「外」とを裂開されて見えなくなってしまった全体性を、ふたたび人々の直観にとらえ得るものとなそうとしている。
芸術にせよ、哲学にせよ、政治的思考にせよ、あらゆる活動の背後に「後戸」の空間があると理解してみると、いわゆる「日本的」な精神の構造が、異質な二種のトポロジーの二重並列的な共存としてできあがっていることに、気づかされる。
背後にはクラインの壺状のもの、その全面には空虚な中心をもつトーラス状のもの。
空虚な中心のところに、どんなに威力ある神仏や天皇を据えたとしても、背後の薄暗い空間を激しく震わす壺の振動が加えられなければ、この列島のものはたとえ権力でさえ、威力を発動させることは不可能だったのだ。
天皇と摂政とか院と天皇とか、将軍と管領とか、天皇家と幕府とか、そういうこと…?
宿神空間から発生する考え方の、一つ。芸能についての部分が、印象に残った。
芸能の徒は、後戸を自分の表現の舞台に選び取った人々であるから、「ある」の表世界をつくっている価値や権力とは異質な原理に、忠実に生きることができなければならない。
たとえ権力者に愛好されても、自らは権力からは無縁の空間に生きていることができなければならない。
それに、幽玄は「真理を立てる」ような行為とも無縁であるから、宗教にも哲学にも染まることがない。
いわば「非僧非俗」のままに、存在の後戸に立ち続ける人でなくてはならない。
「芸能」。いまや、すっかり身近に見えてしまう世界。
「芸能」。尊いな…。
いえ、「聖」であり「賤」…。
芸能人が、善良で堅実な中流家庭の模範って、子どもの手本って、無理…。
本当に、そもそも、根底から、無理…。
宿神を家業の守り神とする「諸職」の職人や芸人たちのつくりあげてきたものは、どれも空間として特異な共通性をそなえているように見える。
運動し、振動する滞在空間の内部から突き上げてくる力が、現実の世界に触れる瞬間に転換をおこして、そこに「無から有の創造」がおこっているかののようにすべての事態が進行していく。
そういう全体性をそなえた空間を、職人や芸人たちは意識してつくりだそうとしてきたようなのだ。
こういう特徴は、この列島で育てられてきたほとんどすべての技術の思考のうちに、形を変えて浸透している。
たとえば、日本に最初に生み出された体系的なマニュファクチュア(手工業)である捕鯨。
日本の古式捕鯨を、アメリカで発達した搾油を主要な目的とするモダン捕鯨の形として比較してみるならば、古式捕鯨の「芸能性」がきわだってくるのではないだろうか。
日本人はイヌイットと違う。現在、食べ物の選択肢は豊富だ。だから、鯨を食べることにこだわらなくてもいいんじゃないかなと、わたしは思っている。
だけど、捕鯨という問題は、食べるか食べないかという問題だけじゃない。日本の捕鯨について。その実態や歴史、文化や思想としての側面にまで、世界の人々がそこまで踏み込んで、興味をもってくれたら、いいのにな。正しい詳しい知識や情報が、もっと広がったらいいのにな。
このような視点に立って、日本人が得意としてきた技術の世界を見直してみると、そこに「一神教的的テクノロジー」とは、根本的に違う思考法が有効に働いてきたことを確認できるのである。
性質の違うものを、単一の原理に無理やり従わせて均質にならしてしまうのが「一神教的テクノロジー」のやり方であるとするならば、異質なものを異質性をたもったまま、おたがいの間に適切なインターフェイス=接続様式を見出すというこの列島で発達したやり方は、「多神教的テクノロジー」とよぶことができるかも知れない。
宿神=シャグジの空間は、プラトンの言う「コーラ」というものにそっくり。
私たちはプラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見する。
すると。
西田幾多郎と田邊元によるいわゆる「日本哲学」と宿神的思考との近さという問題が浮上してくる。
田邊哲学は西田哲学にとっての「後戸の思考」としての特質をあらわにしている。
近代に誕生した「日本哲学」は、生まれてまもない頃に、すでに芸能や宗教の領域で実現されてきたあの二重構造をとることになったのである。
第十一章 環太平洋的仮説。
後戸の空間は、どうやら時間の軸を遡行したり、存在の構造を底のほうに向かって潜っていったりするだけでなく、民族や国家の壁を自在に越えて行き来できる能力を備えているらしい。
「古層の神」としての本質をもつ宿神という存在が、猿楽を日本文化のアイデンティティの向こう側に広がる、広大な人類の神話的思考の領域に連れ出していくのといっしょに、それを東北アジアの古代文化に、さらには環太平洋神話学の広大な世界へと押し広げていってしまうのである。
お納戸のような薄暗い後戸の空間の向こう側には、じつに広々とした世界が広がっているのだ。
後戸の神の来歴を探っていくとき、私たちの前には、東北アジアの全域を巻きこんで展開した、深く大きな思念の全体運動の姿が、浮かびあがってくることになる。
シャグジ=宿神を環太平洋的な広がりをもった思考としてとらえ直してみると、私たちの前に思いもかけなかった可能性が開かれてくる。
「翁」の出現する後戸の空間をとおして、私たちの思考は自分の独自性を失うことのないままに、人類の記憶の収蔵体につながっていくことができる。
エピローグ 世界の王。
フランス12世紀後半の作家クレチアン・ド・トロワの書いた『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』。
古いケルトの伝承であるアーサー王と円卓の騎士と、古い起源を持つキリストの聖杯の、物語。有名なすばらしい物語。
この物語を、中世ヨーロッパにおける「主権」思想の新しい表現として、とらえ直してみることができる。
アーサー王=聖杯伝説を、金春禅竹の記述する「翁=宿神」と比較してみると、あまりの近しさに驚かされる。
こうした神話には、現実の世界の国家と王権というものの正当性に対する、根本的な懐疑が表明されているのではないか、と私は考える。
室町幕府が好きなのですが。
日本の王権である天皇。
後醍醐天皇の残したトラウマ。
武士という職人のつくる王権である「室町幕府」は、その「主権」の正当性をいったいどこに見出していったらよいのか。
この問題に直面した室町将軍たちは、天皇王権の秘密をその「宿神=翁」としての構造のうちに発見したのである。
将軍の王権。彼らのユニークなやり方。
「宿神=翁」を守護神とする芸能者たちを、将軍の王権の中核部分に組み込むことによって、天皇と同じ構造を手に入れようとした。その結果、さまざまな賤民的職人・芸能者たちが、将軍家の身近に奉仕するという、武家政権としては異例の事態が発生した。金春禅竹の『明宿集』も、そのような時代的探求の流れのなかで、思考されたものと考えられる。
ますます室町幕府が好きになった。室町幕府を選んだ(?)わたしは正しかった(?)。
『明宿集』が書かれた背後には、「主権」のありかをめぐる深刻な動揺がひそんでいるように、私には思われる。
「自分たちの職能の根源である「翁」の本質を探るという目的で書かれたこの書物を、背後から突き動かしているのは、この国ではまだ誰も取り組んだものがいなかった「主権の哲学」の探求なのである。」
「主権」?
これなのですか。
ここなのですか?
シャグジ=宿神は、「主権」というものの、「力の源泉」というものの人類的な秘密を握っている。
それだからこそこの精霊を「世界の王」と呼ぶことができるのだが、「王の中の王」たることによって、それは現実の時空間の内部にも中心部にも存在しないのである。
人間が「力の源泉」を自分の能力の外に求めていた頃には、「世界の王」はまさしく世界の中心に、はっきりと認められていたのである。
正統たる「主権」者。
「主権」を握っていると称する偽の王たち。
未来の「主権」の形。
「~、人間たちの新しい世界について、もっとも正しいヴィジョンを抱きうるものは、諸宗教の神ではなく、長いこと歴史の大地に埋葬され、隠されてきた、この「世界の王」をおいて、ほかにはない。」
惹かれて、進んだ。
だけど、地図は見えてなかった。
全体像は想像できていなかった。
だけど、そして、ここへ。
ここに。
たどり着いた、さかのぼった、潜った、広がった、まとまった、つながった。
だけど、そして、はじまる。
ここから、はじめる。
そういうお話。
こういう本だったのですね…。
日本という国、日本文化。
その核心に触れさせてもらった。
その謎の答えを教えてもらった。
その正体を見せていただいた。
と、思いました。
内容を正しく理解していないかも。
でも、はるか昔からの、縄文からの、デリケートで貴重な風が、自分の内側を吹き抜けた、ような気は、したかも?
「精霊の王」。
題名を、この言葉を、最後に改めて、心の奥底で、噛みしめた。
あとがきで。
この本を、父であった人の思い出に捧げたい、と。
自分の親と、自分と親との関係を思い出した。
すばらしい本なのに。
最後に、そこ。
わたしらしいか。
(2018年3月9日 第1刷発行)